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今回は麻将連合のツアー選手を2人にインタビューさせて頂きました。ベテランの下出和洋ツアー選手と、若手の地主琢磨ツアー選手です。麻雀界の世代間ギャップが面白いです。
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−まずは下出さんと麻雀の出会いについて聞かせて頂けますか?
下出(以下S):話すと長くなりますよ。僕は最初ゲームから入りました。まだ初期の緑色したカセットの「二人麻雀」です。親父が買ってきたゲームなんですが、役もわからずただ3つ揃えてました。
初めて牌に触ったのは、中学校卒業する頃ですね。ただ、高校まで私野球部に入っていて、なかなかたくさんは出来なかったのですが、夏が終ると暇になったんで、友達が「それじゃあやろうか」と卒業するまで麻雀ばかりしてました。(笑)
初めのうちはスジとかもよくわからないんで、よく負けてました。元々あきっぽい性格なんですが、麻雀だけは続きましたね。
それで大学受験をしたんですが、受験のついでに雀荘巡りをしたりしてました。初めてフリー雀荘に行ったのもその時ですかね。当時は明大前にあったミスチョイスとか東京に来た記念に行きましたよ。勿論ちゃんと受験もしましたけど(笑)
大学は落ちてしまったんですが、名古屋の専門学校に受かりまして、学校を卒業できる程度に通いつつ麻雀をしてました。当時古川孝次(日本プロ麻雀連盟所属。鳳凰位3連覇の実績を持つ)さんが経営しているお店で働いたりして、競技麻雀ともそこで出会ったのかな。他にも名古屋って3人、4人打ち両方あったりで、色々経験しましたよ。
専門学校を卒業する頃にバブルがはじけちゃいまして。もしかするとバブルが続いていたら普通に会社員をやってたかもしれませんね〜。じゃあ、「やりたい事をしよう」と麻雀で生活をしていこうと考えたんです。卒業する記念に最高位戦を受けたりもしました。惜しくも落ちてしまったのですが。
その後は雀荘勤務がほとんどでした。東京のウェルカムや名古屋のサークル21(ツーワン)などで働いてました。で、サークル21の当時の経営者だった橘高正彦さんに誘われて、麻将連合μを受験しました。自分は1期生だったんですが、僕みたいな一般人は全然いなくて、周りがプロの人間ばかりで合格したのは密かな自慢です(笑)。確か一般で合格したのは僕と須藤浩(麻将連合認定プロ)さんだけだったかな。麻将連合に入ってからまた転々とするんですが。名古屋で2年働いた後、藤沢 本厚木のオクトパス倶楽部で3年くらい。そして福岡の麻将教室『雀健ポン』で講師を1年くらいやりまして、ようやく今のシャングリラに落ち着くと。ね?長いでしょ。(笑)
−中々波乱万丈な人生ですね。また後ほど色々突っ込ませていただきます。それでは地主さんも麻雀との出会いから教えていただけますか?
地主(以下J):私は12歳の頃、小学生か中学生だったか覚えてないのですが、友人に誘われてマージャンを始めました。私、麻雀に限らず全てのスポーツやゲームにおいて「負けず嫌い」なんです。でもマージャンって最初って全然わからないじゃないですか?そんな訳がわからない中でも負けるって事が嫌だったんですね。ですから終ったその足で本屋に行って麻雀の本を買って、それから1週間でルールを全て覚えましたよ。役とか点数計算に至るまで全て。
S:俺なんか何ヶ月たっても覚えられなかったのに。
J:今思うと何で出来たか不思議なんですけど(笑)その頃は友達と遊ぶ為のツールの1つとして麻雀があった訳です。ゲームセンターやカラオケで遊ぶのと同じ感覚ですね。高校生まではそんな位置づけでした。
−それが変わってくるのってどの辺りからなんですか?
J:大学生になって埼玉で一人暮らしを始めるんですよ。学生街なので同じように一人暮らしをしてる人間が一杯いるので、そこで麻雀ネットワークが繋がっていくんですね。でも仲間内でやっても私の方が長くやってるんで負けなくなってるんですよ。これはセット麻雀に別れを告げる時期が来たかなと。
地元の友人に連れられてフリーデビューをしまして、私地元が神奈川なのでその時に行ったのが先ほど話にも出ていた藤沢のオクトパス倶楽部。そこで麻雀プロというものに初めて出会いました。忍田幸夫(麻将連合認定プロ)プロの事なんですが、これが後々数奇な出会いにもなりましたね。でも未だに私のヒッカケチートイリーチに忍田プロが飛び込んだことは覚えてます。(笑)
ちょうどその頃学校の側にもフリー雀荘が出来て、そこに通うようになったことが麻雀にドップリ漬かるきっかけでしょうね。
何年かするうちに、そのお店で『新世紀』というμの会報誌を見つけてμ道場の存在を知るわけです。つまり、井の中の蛙がある程度腕に自信を覚えて麻将プロと打ちたくなったんですね。意気揚々と片道1時間半かけて五反田の本部道場にルールも何も知らずに飛び込みで行きました。そこで人生間違えちゃったんですね(笑)。
当時そこにいたのが現認定プロの須藤浩さん、柏原純さん、三原孝博さんをはじめ、今で言えば色んな競技会で名を聞くアマチュアの競技愛好家の方々がゴッソリいた時期だったんです。そこに若僧がひょっこり出向いていって。・・・まぁボコボコにのされますよね(笑)。でもまた一つ感動が生まれた訳です。ここで負けっぱなしのままやめる訳にいかないよなって負けず嫌いの性格がひょっこり出て来まして(笑)。それから半年程毎週1回埼玉から必ず通うようになったんですよ。
そしたら「今度道場対抗戦があるので代表として参加してみない?」って誘われて、で始めて競技会に参加したらたまたま良い成績だったんですよ。(苦笑)ここでさっきの忍田さんから「育成会(ツアー選手を目指す方の勉強会)に出てみない?」と声をかけられまして。時間もあったのでまぁいいかと軽い気持ちで1度行ってみて、これも毎月通うようになりました。すると「今度ツアーライセンス審査があるから受けてみない?」と誘われて、何事も経験と思って軽い気持ちで受けてみました。でも落ちてしまうんです。
そしたらまたここでも「負けず嫌い」の虫が出てきまして。半年後の2度目の受験で合格しました。だけど再受験する時は悩みましたね。1回目は試しにどんなものか受けたんですが、2回目は全ての競技団体を調べた上で麻将連合が自分の考えに一番あっていると思い、覚悟を決めて学校に退学届けも出してから受験しました。
その頃井出代表や戸構亮さん(麻将連合ツアー選手)に仕事も紹介して頂き、日本健康麻将協会の事務局でお世話になりました。ここで色々な方々との出会いがありました。残念ながら体調不良で1年程で辞めてしまったのですが、その縁でシャングリラへの推薦をして頂き、立ち上げ当初から勤務しています。それがちょうど2年半くらい前ですね。
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