井上馨の像に明治維新を思う
ド肝を抜かれそうな駅前の白狐のモニュメントのデカさに圧倒されながら、今回の主催先であるお店の「神ヅモ」を目指して温泉街を進む。なるほど、県庁所在地の市内とはいえ、ここは間違いなく温泉街だ。街並みの風景といい匂いといい、官公庁のそれでは全くない。メインストリートには車の行き来も多いけど、それでも何というか「せわしなさ」みたいなものとは全く無縁なのだ。やっぱりいいよな〜こういうのって。地方に取材旅行に出かけて、ウマいモノを食ったりした時と同じような楽しさが、こういう場所の散策なのだ。
お店への道すがら、公園を見かける。何気なく観察していると、そこには記念碑のようなものが建っている。近づいてみると、これが明治維新の立役者の一人である政治家・井上馨の銅像だった。
1835年(天保6年)に萩藩士の次男としてこの地に生まれた井上は幕末の激動の時代に活躍、明治時代に入ってからもさまざまな重職に就き、近代日本発展のために尽くした偉人である。伊藤博文内閣では初代外務大臣を務めたことでも有名だ。長州といえば西郷隆盛や大久保利通などを生み出した薩摩と並んで、そういったバイタリティあふれる指導者を数多く生んだ土地。きっと現代の山口の人たちもこれには大いに誇りを持っているのだろう。
ほどなくして「神ヅモ」に到着。まさに湯田温泉のド真ん中にあるフリー雀荘である。日本じゅうにフリー雀荘も数多くあれど、温泉街にあるお店はそうはないだろう。極めて稀な存在であり、もっと注目されてもいいと思う。
実は山口市にはフリー雀荘があまりなく、ここを含めて数軒だけというのが現状だ。オーナーご自身が「山口は麻雀人口が少ない」とブログでボヤいておられるように、不思議なほど少ない。条例でフリーが禁止されているわけでもないだけに、これはどうしたことか。歴史的に硬派の揃った長州男児(むろん女性も)は「麻雀など亡国遊戯だ!」とでも決め付けているのだろうか。もしそうなら、やや悲しい話ではないか…。
麻雀軍団「打我家」見参!
冗談はさておき、いよいよお店を訪れて、最強戦読者予選の取材準備を始める。開始まではまだまだ時間のあるやや早い時刻に到着したため、会場にはお店のスタッフ以外はまだほとんど人はいない。戦いの前の静けさがかえって緊張感を醸し出している。
そうこうするうちに、参加選手たちがお店に集まり出した。常連客同士は顔を見つけては談笑したりしているが、今回の大会出場が初めての人もけっこういるようで、最強戦ならではの独特のムードがお店を支配し始めている。そう、これはやっぱり戦いなのだ。
と、そんな折、準備をしている僕に一人の若者が声をかけてきた。「お久しぶりです」。
ン?
お久しぶりって、僕には山口出身の知人はほとんどいないぞと思いながら、その青年の顔を見てみると……おお、8月に「ブルードラゴン福岡天神店」で行われた読者大会で西日本大会への出場権を獲得した藤原英治ではないか!
藤原といえば、福岡大会で稀に見る僅差のオーラスを制して見事予選を通過したこともあって、その模様はよく覚えていた。「今日は仲間たちが出るので、その応援で来たんです」。なるほど、そういえばこの日の山口大会は、予選としてはスケジュール的にも終わりのほう。それまでの大会で残念ながら敗退してきた選手たちにとってはいわば最後のチャンスなのだ。参加者たちの間に走っている緊張感はそのせいもあったのか。
で、その仲間たちという方に目を向けてみると、おお、見たことのある顔がここにもいる。同じ福岡大会の決勝で惜敗したものの、その立派な闘牌を「博多編その2」でも紹介した弘中栄司だ。
彼らはここ山口を根城に活動する麻雀サークル「打我家(だがや)」のメンバー。藤原はその発起人で、サークルの長を務めている。藤原自身も日本プロ麻雀連盟九州支部に所属するプロだが、「打我家」のメンバーには、その藤原が尊敬しているという哀川斗南(後述)もおり、この日の大会にも出場していた。それにしてもみんな熱心で、感心させられる。
さて、肝心の大会のほうだが、予選最終戦を迎えて、まだ誰にも決勝への当確ランプが点かないという大接戦になった。普通こういった短期戦ではドカンと連勝を決める選手が何人かは出るものだが、この日はここまで3戦やって何と3連勝が1人も出ていない。接戦となっているのはこれが原因だろうが、最後のチャンスに燃える選手たちの執念がそうさせているとも思えて、観戦するこちらも大いに熱が入った。
誰にも負けさせたくないという思いが強くなるのはこんな時なんだ。
激戦となった予選を通過した4人が決勝卓に着いた。そして、その中にはあの弘中と哀川もいる。藤原の祈りが通じたのだろうか。しかし、西日本大会の行われる大阪への切符を手にできるのはわずかに1名のみ。それをゲットするのは誰か?
緊張の中、最終戦のサイは振られた。
|