麻雀の謎を解く
現在「麻雀四季報」の編集長を務め、麻雀界の歴史に造詣の深い西野孝夫氏(元月刊プロ麻雀編集長)が、麻雀と麻雀界の謎の解明に迫る連載コラム。

「6枚切り3段」の理由と背景
「今回の『麻雀の謎を解く』のテーマは何にしましょう」
「わたしは前々から、捨牌の『6枚切り3段』にはどのような意味があるのか確かめたいと思っていました」
「それはまた、どのような観点からでしょう」
「たとえば、最初の一段が序盤で二段目が中盤、三段目が終盤を意味する、等と解説している人がいますが、ホントにそうですか、そのためにやっているのですか」
「違います」
「やはりそうですか。では、違います、だけじゃなくて、もう少し詳しく説明してくださいよ」

この続きは、麻雀四季報2008年春・第14号にて




小三元は四翻役なのか
「まだまだネタがあると言っていましたね」
「ありますよ。たとえば、小三元です。『小三元を四翻役』と記載してありましたが、それでいいですか」
「それには、何か特別な注釈が付いていましたか」
「たまたま見たもので、特に注釈は付いていませんでした」
「だとすれば、いけませんね」
「何がいけないのですか」
「あなたはご存知でしょう。ご存知どおりのことを言ってみてください」
  くだんのプロは、以下のとおり要約して答えてくれた。
「小三元は、二翻役であるが、手牌の翻牌二組を数えて、結果的に四翻となる」
「その通りですね」
「結果的に、必ず四翻になるのでしたら、四翻役としてもいいのではないか、というのが、私が見たルール表の作成者の言い分なんでしょうけど、それではいけない、と言うのですね」
「そうですね」
「その理由は何ですか」
「ご存知のとおり、役は複合します。その折、手牌に翻牌があれば、数え加えるという原則があります。
 ご承知のとおり、ホンイツやトイトイでは、その二翻という役以外に、翻牌やドラがあれば、それを数え加えることになりますね。
 小三元も、これと全く同じであるわけですから、先にあなたが言ったとおりの注釈がつきまとうことになります。
 現状では、やむおえません。
 もし注釈なしに、最初から四翻役とすれば、さらに手牌の翻牌二組を数える人が出てこないともかぎりませんからね。
 他の役には、そのような注釈が必要ないだけに混乱します」

小三元は一翻役だった

 昭和六年度協定の「日本麻雀連盟標準規定」によると、小三元は一翻役であった。
 むろん、三暗刻、三槓子、混老頭、対々、混一色、人和なども一翻役である。
 昭和六年度の「関西麻雀連盟標準規定」では、対々、三暗刻、混一色、三槓子等は一翻役として扱われているが、小三元、人和は採用されていない。
 戦後、日本麻雀の新しい骨格が生まれた昭和三十年代を見ると、昭和三十七年度の「日本麻雀連盟標準規定」には変化がない。日本麻雀の原点を守る姿勢を貫いていた。
 ところが、新しく出来た団体である「全日本麻雀連盟標準規定」(同年度版)では、小三元は二翻牌に昇格している。むろん他の先に挙げた一翻役も二翻役になっている。
 昭和三十八年度改定の「関西麻雀連盟標準競技規定」でも、小三元は二翻役となっており、他の役も同様であった。
 このように、大衆ルールを新しくできた競技団体が追認した。
 これは、インフレルールの時代を反映しており、以後今日まで続いてきた。
 それまではいわば公式ルールのごとく使われていた日本麻雀連盟のルールから離れていく大衆ルールの出現がこの時代を特徴づけている。
 営業麻雀のルールも、こうしたインフレルールへと乗り換えていった。
 これまで麻雀の営業者は、日本麻雀連盟標準規定を添付して営業許可申請をしていた。これをもって営業していたのである。それが大衆ルールの趨勢に押され、インフレルールへと傾斜していくのである。

インフレへの傾斜

「ところで、その時代から小三元には注釈が付いていましたか」
「それが、いずれのルールにも今日のような注釈が付いていませんね」
「ということは、注釈を付けなくても共有の理解があった、ということでしょうね。複合役に対する理解があったわけですね。ところが、麻雀ファンが拡大するにつれて混乱が生じるようになり、注釈を付けるようになった」
「さすがですね。わたしもそのように推測しています。
 昭和三十年代というのは、麻雀の一大ブームの始まりです。それにつれてルールも次から次へと改変されます。
 インフレルールへの傾斜を高めていくわけですが、大衆麻雀としては面白くもあり、初心者の参加が急増する。そのような背景を小三元に見ることができますね」
「ルールの混乱の根元は、インフレルールにある、わけですね」
「インフレルールは、大雑把にいえば、大衆麻雀の面白さを倍加させました。そのツケがあまりうまく整理されないまま今日に至っている。そう見てもいいのではないでしょうか」
 麻雀ルールの改変は、その全体像をみて判断するケースは少なく、多くがパーツをいじる程度のものだった。
 やがてそれが度重なると、矛盾を孕み、整合性が成り立たない状況となってしまう。その矛盾に気がつかなくなり、気がついてもそれでいい、という浅い判断が大勢を占めるようになった。
 麻雀ルールの欠陥、矛盾、不整合に憂いを抱く人は少なく、無関心あるいは面白ければいい、というのが今日的状況である。
(つづく)





「麻雀の最大の謎をまだやっていませんね」
「最大の謎とは?」
「反時計廻りのことですよ」
「最大と言われるほど、謎ですか?」
「なぜ、一般常識に逆らって反時計に進行するのでしょう」
「それが常識だったからでしょう」
「えっ」
  さすがに、くだんのプロも絶句した。



  たしかに、日本の麻雀界では、『反時計廻り』を謎としてきた。そして、その謎を解き明かそうとして、いろいろな説を試みてきた。
  その一つに、『神の視覚』、『天の視覚』というのがある。これは「視覚」というより、「視角」といったほうが判りやすい。要するに、いま読者諸兄が雀卓にお座りになった。そしてその雀卓をひっくり返して上に掲げて仰ぎ見る。そうすると、いまの廻り方が反対になってしまう。
「これを『神様の視覚』だとか、『天上から眺めた視覚』だというのです」
「その説はわたしも知っていますが、それではなぜそのようにしなければならなかったのでしょうか。疑問が残りますね」
「その通りですね。たぶん、これは後付けの説話でしょう。麻雀を崇高なものにするのに都合が良かったのでしょう」
「他にありますか」
「いろいろありますが、もう一つ代表的なものを紹介しましょう」



  『時計廻り』というのは、文明の栄えた北半球に生れた概念で、地図も同様である。
  太陽の運行は、東に現れ、南をめぐり、西に沈む。そして北をくぐり、また東に現れる。このように解釈されていた時代のもので、今日ほど科学的ではない。
  北半球からはそう見えるが、南半球からみれば、そうはならない。太陽は東に現れるが南ではなく北をめぐる。
  麻雀の発祥地である中国、ことに近代麻雀の発祥地である寧波は、南半球の船も出入りする国際港であった。したがって、南半球の人々の常識も知っていた。
  南半球の常識とは、「太陽は東から北へめぐる」ことであり、麻雀が「東から北へ進行」してもおかしくはない。
「いや、おかしいですね」
  くだんのプロがいき込んで口を開いた。
「この説に多少注釈を加えると、実際には麻雀は右に位置する南家に進行するわけで、ここでいう北とは地図上のものですね」
「それにしてもおかしい。麻雀の進行を南半球の人々の常識に合わせたというのですか」
「その必要性は、もともとないですね。要するに、麻雀は時計廻りとか地図上の概念とはまったく関係が無い。むろん、南半球の人々の常識に合わせたわけでもない、のです」
「それだけでは、答えになりませんね」
「答えは、単に『右手廻り』であった、だけのことです」
「えっ、右手廻り?」
  マージャンは 最初から『右手廻り』だった



  もともと麻雀には、東・南・西・北の牌は無かった。これは、あとからできたものである。
  出来たのは、太平天国の乱の後のこと。
  座位を示す東・南・西・北の札があった。それぞれの字を刻んだ丸い札だ。この札を牌に進化させた。昇格させた、といってもいい。
  もう一つは、太平天国の乱のときに生まれた東王、南王、西王、北王といった花牌を正規の牌に組み入れた。
  この二説があるが、いずれにしても陳魚門の寧波麻雀からの登場である。
「陳魚門の麻雀改革で東・南・西・北という方位を決める牌が正規なものとして採用されたわけですが、それ以前から麻雀そのものはあるわけで、その麻雀は右手廻りであったのです」
「ということは、右手廻りの進行に、あとから東・南・西・北がくっついたということですか」
「その通りですね。いうまでもありませんが、世界のあらゆる文化は右手文化ですね。陳魚門の麻雀改革でも、従来の右手廻りが尊重された、ということでしょう。さらに単純に考えれば、右手廻りのほうが牌を取りやすくした、ということもあったのでしょう」
「実にすっきりした気もしますが、それではなぜ東・南・西・北なのでしょうか」


 
  方位の語順は、日本では東西南北だが、中国では東南西北、英語では北南東西(North, South, East and West)である。それぞれ文化圏によって異なる。
「つまり、中国では伝統的にすでに東南西北の語順があった。これは、北半球からみた太陽の運行どおりのものですね。それとやはり伝統的な右手廻りがあった。それらを合体させたとき、右手廻りを尊重したことになります。右手廻りの遊戯は他にもありますね」
「マージャンの進行は右手廻り、その方位は語順どおりにした、ということですね。その結果、時計廻りとは逆になり、地図上の方位とも異なるものとなった……」
「ここで思い出してほしいのですが、寧波の人々には、それを矛盾とは感じさせない国際的なセンスがあったのかもしれません。右手廻りとは、東を基点にして考えれば、地図上の北廻りです。
  南半球の人々が、東を基点にして考えれば太陽の運行どおりやはり北廻りを常識とするでしょう。ですから、地球的規模で考えれば、マージャンの進行が反時計廻りであっても少しもおかしくはない、という理屈があったかもしれない。
  それに、地球が丸いことは、この時代(1860年ころ)の人々は知っていた。東の東は西であり、西の西は東であり、北の北は南であり、南の南は北であることも、むろん知っていた。
  しかしながら、今日においてもそうであるが、伝統的な文化、概念はそのまま残っている。
  そうした概念で照らしてみると、マージャンの進行はまことに奇異に感じられるのだが、ただ単に、二つの伝統が合体した、その結果と考えればどうでしょう。
  伝統的な右手廻りに伝統的な方位の語順を当てはめたことで、後世では最大の謎と映った。ただそれだけのことではないか、と考えています。
  実際には、やりやすい方法でやりましょう、という現実認識がそうさせた、と考えるほうがなお一層正解に近いかもしれないのです」
「それでは、壁牌からのツモの順序が時計廻りなのは、なぜでしょう」
「それは、流れとか方向を一定にしない、ということでしょう。つまり、運の配分を考慮した結果ではないでしょうか。それに、何よりもそのほうがやりやすかったのでしょう」
「なるほど、これですっきりしましたね」

※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

「ところで、次回は何をやりますか?」
「もうそろそろ止めにしましょうか」
「いや、トンデモナイ、まだまだネタはありますよ」
「そうですか!?」
(つづく)




なぜ?親のチョンチョン

「親のチョンチョンですが、あれには何か意味があるのですか」
くだんのプロが、いきなり問題提起をした。
配牌時に、荘家だけが一牌多く取り手牌十四枚とする、例のチョンチョンである。なぜ、このようなことをするのか、改めて思い浮かべてみると、なにやら疑問めいた感想がわくのだが…。
「格別、深い意味はありませんね。親が取るべき牌を先取りしているだけです」
「それにしても、意味無く先取りするのは、どうも解せませんね。一般には、親が一牌余分に牌を取っている印象を与えていますが」
「そうだね。そのような印象を与えているかもしれませんが、実際にはそうではない。いずれ、取る牌を早く取っているにすぎません。それによってゲームの進行が少しばかり早まるぐらいがメリットになるのでしょうか」
「その程度のことですか」
「まぁ、なんの支障もないので一つの慣例として定着したのでしょう。もともとは、親も子も等しく十三牌取り、それを手牌とし、その後一牌ツモりそして打牌した。それがいつのころか便宜上親がいずれツモる牌をついでに先取りするようになった。
チー・ポンが発生するわけでもないので、なんの支障も起こらなかった。
  そしてそれが慣例化した、ということでしょうね」
「それでは、厳密にいえば競技上の形式ではないのですね」
「そうですね。単に便宜上やっていることで、それが定着したわけで、それ以上の深い意味はありませんね。
現在のように慣れてしまいますと、別段悪くもないでしょう」

手牌は十三枚か十四枚か

「先ほど親子ともに手牌十三枚で始まった時期があるように話されましたが、現在でも手牌は十三枚ですか。現在は、親は最初から十四枚ですね。子にしてもツモの時点では十四枚となりますが」
「昔のことになりますが、手牌十三枚説を主張する人と手牌十四枚説を主張する人との間で論争がありました」
「ほう、それでどうなりました」
「手牌十三枚説のほうが優勢だったというだけで、決着はついていませんね」
「今なら、どう決着をつけますか」
「決着そのものには、あまり興味はありませんが、現実に即して考えれば、手牌十三枚のときもあれば手牌十四枚のときもあるわけで、そのどちらかに集約して何枚と決める必要はありませんね。
説はいかがわしいものです。
  実際、ツモ牌を取り寄せたとき、手牌は十四枚になっていますからね。それはツモ牌で手牌ではない、などという人がいれば滑稽の極みですね。手牌でなければ、必要な牌でも使うことはできません。また不要牌であったにしても、手牌でなければ打牌もできません。
  これが理屈というものです。
  したがって、ツモの時点では十四枚、打牌後は十三枚と考えるのが妥当であり、現実的でしょう」
「先の論争は、不毛の議論ですか」
「誤解を招く説ですね。厳密さを欠いています。
  ついでにいえば、日本麻雀を十三枚麻雀と言う人もいるようですが、これも誤解を招きます。十三枚では、麻雀は完結しません。せめて、手牌十三枚麻雀というべきでしょう」




異端の役七対子の謎

「七対子という役は、摩訶不思議な役ですね」
「過去に、異端の役と云われたこともあります」
「1雀頭4メンツが、麻雀の原形だとすれば、その構造に大きな違いをみせています」
「国士無双とこの七対子は、現在では特殊役(特別役)といわれ、他の役と区別されていますが、それにはワケがあるのですか」
「大いにワケありの役ですね。そのことについて、今回は話しましょう」

なにゆえ特殊役なのか

くだんのプロは、マージャン教室などで七対子のことをよく聞かれるらしい。どのように説明すればよいのか、多少悩むところがあるようだ。

  麻雀の基本的な形は、「1雀頭4メンツ」であるわけだが、その中身は次のいずれかの形になっている。

アガリ形の基本組合せ
1.刻子+刻子+刻子+雀頭(トイトイの形)
2.刻子+刻子+刻子+順子+雀頭
3.刻子+刻子+順子+順子+雀頭
4.刻子+順子+順子+順子+雀頭
5.順子+順子+順子+順子+雀頭


 これは前にも言ったことだが、七対子の説明のためにもう一度挙げてみた。いうまでもなく七対子は、この組合せに当てはまらない(むろん国士無双もそうである)。七対子は対子七組合せであり、国士無双は1雀頭12タンキの組合せである。

  形が異形で、点数計算の仕方も当てはまらない。そもそもアメリカ生まれの役で、もともとの中国ルールには無かった新役である。

  こうしたわけで、落ち着いた先が「特殊役」という差別化であった。


1翻なのか2翻なのか


「翻数と点数計算の仕方がはっきりしません。いった1翻なのか2翻なのか。具体的にいって、100符1翻なのか、25符2翻なのか?」
  くだんのプロの革新的な疑問はここにあるようだ。

  七対子がアメリカから入ってきたとき、まず関西に愛好者が根づいたようだ。

  昭和六年の関西麻雀連盟標準規定には、「1翻百符」と記載されている。

  同昭和六年の日本麻雀連盟標準規定には、七対子は記載されていない。つまり、七対子には反対の立場を鮮明にした。

  一般には七対子愛好者は関西を中心に結構いたようで、今日まで連綿と続いてきた。

  その後、問題が無かったわけではない。

「七対子という役について話し始めますと、多義にわたって問題点が浮かび上がってきます。いくらか省略して、結論を急ぎましょうか」
「そうですね。今日のテーマは符計算と翻数です。つまり、符計算はしなかったわけですね」
「いや、それがした時期もあった。一時期ですが」
「へぇー、どのように?」
「かいつまんで言いますと…」

  以下の解説は家川弥吉によるものであるが、ざっとこんなぐあいである。

  タンヤオでツモアガリの場合は4点、その内訳はタンヤオ2点、メンゼン・ツモアガリが2点。それにアガリ点の20点を加えて24点。さらにタンヤオ1翻、メンゼン・ツモアガリ1翻で2翻。これを合計すると96点になり、四捨五入して百点とした。

「ずいぶん安い役でしたね」
「その安さが、七対子に対する反対理由の一つでもあった」

  あと少し、符計算のことを記しておくと、翻牌が入っているとそれを計算に入れた。三元牌や自風は2点、翻牌のタンキ待ちだと2点、これは4点にするケースもあった。

「相当、無理をしていますね」
「そうですね。ですから、符計算そのものはすぐ廃れて今日では全くしませんね。そして、これは特別の役で”七対子に限り”、1翻百点という考え方がしばらく定着する。これも、その後変化します」

七対子 2翻に昇格

 戦後は、それも昭和三十年代になると、インフレ麻雀の全盛となり、役その他が倍化していく。

  昭和三十七年の全日本麻雀連盟標準競技規定では、七対子は「2翻、百点とし役の複合を認める」と但し書きがされている。

  この団体は新しくできたもので、当時の一般大衆の考え方を積極的に取り入れていた。

  昭和三十七年の日本麻雀連盟の改訂版には、相変わらず七対子の記載はない。昭和三十八年に改定された関西麻雀連盟の規定では、以前どおりの1翻。

  1翻役を固執する人は、その後も1翻が正当だと、いまでも思っているようだ。

  全日本では、他の役も今まで1翻役であったものが、その半分ほどのものが2翻役として扱われている。2翻役になると、25符2翻という計算、つまり符を減らした計算式が生まれた。

  どうやら、大衆麻雀がすでにそういう形にインフレ化していたようだ。

  その後は、3翻役であったチンイチが4翻、5翻、6翻とエスカレートし、今までマンガンだったものが役満に格上げされ、新制度のマンガンが作られ、その上にハネマン、倍満ができていく。

  これが全体的な風潮で、今日の「現代麻雀」を形作ってきた。

 七対子は、このインフレ麻雀の影響と旧来の考え方の狭間で揺れ動いてきた。

  マンガンからハネマン、倍満などの計算に対しては、2翻縛りに対してもそうであった。

  この計算のために、七対子に対して「2翻相当」という言葉が生れた。この言葉の意味するところは、1翻役ではあるが、必要に際して2翻役として数えてよい、と言っているかのごとしである。要するに、折衷案。

  日本麻雀の変質家庭において、いつしか、七対子は重宝かつご都合主義な役となった。

  今日においても、役としては、曖昧模糊で摩訶不思議なものである。昭和三十年代に「異端の役」と言ったのは、日本麻雀連盟の上級幹部であるが、正しくぴったりな表現であった。

過去の亡霊を絶つ

「それで、どうなんですか」

  くだんのプロが少し不満げな眼差しを向けてきた。

「わたしは、七対子は2翻役と結論づけているのですよ」
「得点計算は、どうしますか」
「子100×4×2×2=1600、親100×6×2×2=2400」
「えっ?」
「子25×4×4×2×2=1600、親25×4×6×2×2=2400、どちらにしても結果は同じ。先の計算には、[基本点25×4]がすでに入っている形にすぎません。

  アガリ点100点(親150点)の2翻役、という計算も同じです。

「 結局のところですね、今普及しているとおりにしておくのが、一番いいと思っている。もう過去のごとく付け焼刃の理屈をつける必要性はないと思います」
「そうしますと、2翻役で、子1600点、親2400点というわけですね。計算してはじき出すのではなく、そう決めておく、というわけですね」
「はい。今となっては、それが、もっとも一般的だろうと感じています。どのような場面でも2翻役として扱い、決められた得点で処理する。これが、これ以上の混乱を避ける道です。そして、過去の亡霊を絶つ…。将来は、七対子に限らず全面的に改革すべきでしょう。つまり、(個人的な見解で)部分的に変えるのは、見ているだけでも、もうウンザリですね」
「全面的改革とは?」
「役の整理と定義、得点(符)計算の廃止と対案、新しい評価システムの構築などは、いますぐでもやるべきでしょうね」

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